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「宇宙家族カールビンソン」 家族の構造

 こんばんは、善浪です。
 今回は前回の続きで、「宇宙家族カールビンソン」のご紹介。

宇宙家族カールビンソン (1) (講談社漫画文庫)宇宙家族カールビンソン (1) (講談社漫画文庫)
(2005/11)
あさり よしとお

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 はい、というわけであさりよしとおさんの「宇宙家族カールビンソン」です。
 連載していた掲載誌の休刊の為、物語は中途半端なところで終わっていますが、はっきり言います。名作です。
 というのは、この漫画ほど「家族」というものの本質を鋭く捉えている「疑似家族」漫画はなく、さらに言うと、疑似家族であると同時に「疑似社会」漫画でもある。

 宇宙暦昭和47年、宇宙旅芸人一座の宇宙船が、正体不明の宇宙船と衝突事故を起こしてしまう。
 一行は無事だったものの、相手の宇宙船は惑星アニカに墜落。生存者は女の赤ちゃんただ一人だけ。
 墜落した宇宙船のメモリーは欠損が多く、赤ちゃんの母星の手掛かりはつかめない。
 一座はいつかその子の母星の人々が迎えにくる日まで、惑星アニカで家族を演じることを決めた…。
 
 というのがストーリー。
 SFではあるのですが、特別な事件が起こるわけではなく、日常のドタバタ劇とともに、家族を演じる人々と救出した赤ちゃん=コロナちゃんの成長が描かれます。
 
 この家族、元々が旅芸人の一座ですから、もちろん血のつながりはありません。どころか、姿形も、種族も違います。
 お父さんは変なロボットだし、お母さんは毛玉のような宇宙人。ペットのターくんは「リス」という設定ですが頭が丸々脳という何ともグロテスクな生物です。
 他にも保安官役のベルカ、雑貨屋役のアンディに、惑星アニカの原住生物を巻き込んで、彼らの生活は営まれます。いわゆる「地球人」はコロナちゃんだけ。

 彼らはコロナちゃんの母星(=地球)の文化を、破損した宇宙船のメモリから極力再現しようとします。
 家族関係も教育も年中行事もご近所付き合いも、だから地球の(特に日本の)それに準拠している。
 データが断片的なのでところどころ、というかだいぶおかしいのですが、それもいつかコロナちゃんに地球から迎えが来た時に問題ないようにという配慮です。

 彼らが家族生活を送っているのは、全てコロナちゃんのためです。 
 自分たちのそれまでの生活を捨ててでも、コロナちゃんのために家族として定住することを選んだのです。
 そしてこの設定が、この作品の全てと言っても過言ではない。

 家族として生きるということは、家族を構成する各人が、自分自身の自由をある程度捨てるということであります。どんな仲の良い家族でも、それは免れない。血が繋がっていたとしても、根本的には、別の人間だからです。
 他人と他人が生活していくことはそれだけでストレスを生みます。基本的に、人間は同じ空間に他人がいること、自分のパーソナルスペースを侵されることを不快に思うように出来ているのです。
 それは動物の本能ですが、同時に、コミュニケーションを取ることでその不快を快に代える術も、習得しました。
 それが、「家族」なのです。

 しかしこれ、一般的に思われているよりもずっと難しい技術です。
 先週も述べましたが、各人が絶え間なく努力を続けていないと、その関係は容易く壊れてしまう。「家族崩壊」に特別な事件は必要ありません。ただ、家族の誰かがその努力を放棄すればよいのです。
 家族関係が成り立っていることの方が、むしろ不自然で、奇跡的なのですから。
 
 コロナちゃんの一家は、本物の家族ではありません。コロナちゃんが本当の居場所に戻るまでの、仮初のものです。
 しかし、にも関わらず、彼らに「家族崩壊」などとは無縁です。
 彼らは、もともとが全くの他人であるが故に、「各人が努力を放棄するだけでこの関係が致命的に破壊される」ということに意識的だからです。

 「カールビンソン」の白眉は、この「家族関係」を惑星アニカ全体にまで広げたことです。
 原住生物たちはコロナちゃんと一緒に、地球の行事に熱中し、幼稚園や小学校で学んだりします。惑星には地球式の商店街が出来、ふらりと惑星にやってくる宇宙人も現れます。
 コロナちゃんの存在を中心にして、「社会」が生まれたのです。そしてこの社会はやはり、各人の意識的な努力によって営まれている。
 何が言いたいのかお察し下さった方もいらっしゃいましょうが、つまり、我々が一般に「社会」と呼んでいるものも、「家族」と同じような構造をもっているということです。
 
 「家族」や「社会」というものを語る際に誤解されがちなのは、それらが確たる形をもって存在しているということです。
 だから「家族」や「社会」が「崩壊している」とか「変化している」とかいう物言いは、本当は正しくない。
 それらは、構成員の関わり方によって「その都度現れる」ものだからです。
 「カールビンソン」では家族や社会の「型」がまず最初にあって、そこにてんでバラバラな人々を当てはめていくという形が取られているのですが、それが逆に、この構造を際立たせている。
 だから彼らの生活は逐一面白いのです。
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ジャンル : アニメ・コミック

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