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草食系男子とコミュニュケーション力不足の若者の問題の本質とは?その2

最近、皆、曜日関係なくなってきていますが、今日は小竹。

明後日の続きです。今日は切りどころが見つかんなかったので、長めですが、一応完結します。

・・・・・・さて、今度はコミュニケーション力の問題です。昨今の若者はコミュニケーション力が無いから云々という話を持ち出しては、若者いびりをする人々やマスコミが居ますがホントのところこれは何を意味しているか?

最初に言いますが、私はこの議論は本当に眉唾だと思っています。確かにあとで説明しますが、現代はコミュニケーションしづらい時代なので、若者のコミュニケーション力は下がっている可能性が高いです。しかし、それは別の世代にも言える事ですし。それ以前に彼らの言い分が正しければ、戦前の日本人はコミュニケーション力が有った事になりますが、無謀な戦争をみすみす選んだ訳で、コミュにケーション能力で世の中が変わると言うのは嘘っパチです。戦争を選ばないためには偉い立場にある人達がちゃんと自分のやるべきことを考えるのが大切なのです。これもあとで説明します。

まず、コミュニケーションとは……確かに最近の大学生はろくにサークル活動もしないし、云々言われますが、皆さんバブルの頃とは違い、お金が無いのでバイトに励まざるおえ無かったり、就職活動が3年の夏から始まるのでそれどころじゃないというのが現状の様ですが、確かにみんなで適当にツルむと言う事は減ったように思います。この辺はさびしいかも。

問題としては、忙しさだけではなく、マスコミの不在というのも有るでしょう。日本のようにある程度メディアが発展すると国民全員が見るようなメディアは無くなります。みんな自分の好きなジャンルの作品やニュースばかり追うように成ります。昔はスター歌手と言えばだれでも知っていたけど、今は自分の好きなジャンルの音楽を特に良く聞く人が増えたので、全員が全員知っている歌手と言うのは減りました。それは他の趣味ではもっと顕著だし、国民的超視聴率番組もこんな世の中では生まれません。

例外的に子供達の世界ではこういうものが色濃く残っていて、中学生や高校生なんて、みんな好きでも無いのに、お笑い番組やアイドル番組を見て、テレビの話をするように努めています。昨夜のテレビの話で盛り上がれない子は根暗な子扱いされ、ハブられたりいじめられたりするキッカケになるので皆必死です。これは第二次大戦前夜の日本に近いですね。皆コミュニニケーションはしていますが、本心は見られないように頑張っている訳です。こういう気持ち悪い状況を打破できるのも、実は教師や周りの大人の努力に寄る所なのですが、その辺は又別の話で。

話が戻りますが、昔の人の娯楽のジャンルは、限られていました。皆で同じテレビの前に集まって、同じプロレスの番組を見る。皆で同じ番組を見ていれば、誰でもその話題で盛り上げれます。有る程度話せばそんな人でもある程度は打ち解けられるので、プロレスの話してるだけで、昔の人は有る程度仲良くなれた、コミュニケーション能力が有ったという事になります。

昔はこんな具合にコミュニケーションの敷居が低かった訳です。でも今は皆の興味が分散してしまっている訳で、家が近ければ趣味も近いということは原則無いです。逆に家が遠くてもネット環境が有るので、趣味が同じ人は話し合いやすくなりました。家に居ても遠くの人と話せるので、有る意味でコミュニケーション能力は上がったと言えるかもしれません。

ただ、最近の世間一般に言われているようなコミュニケーション能力とは言ってしまえば、今まで話したような、人と人とのかかわり方と言うよりも、その人の問題解決能力というか、チームで仕事をしたり、お客様と会話したりする時の上手さの問題なので、コミュニケーション力といより『世渡り力』と言った方がしっくりくるかもしれません。そういう意味で最近の若者は頼りなく見えるかも知れませんね。ただ、コミュニケーション力が有れば何でもできると言う理論には先ほどから言っていますが、酷く如何わしい響きがあります。

特にこういう事を言う人は経済関係や政治関係の人ですが、政治、経済活動に一番重要なのは、一般職員のコミュニケーションレベルより、トップに立つ人々の才能や努力です。どんなに末端の職員のレベルが高くても社長が駄目なら末端が会社の方向性を決める決定権が無い以上、会社は良くならず最終的につぶれます。逆に末端がイマイチでも、経営者がちゃんと働きやすい仕組みや待遇を整えれば会社は良く成ります。むしろそのために経営者が居る訳で、何もくつろいで部下を適当に虐めて高い給料をもらうために居る訳ではありません。

日本の経営者は、コミュニケーション能力の高い優秀な学生を得る為と言いながら、学生に過度な就職戦線を押し付けてますが、末端が良くなれば、会社全体が良くなるんだぁ~なんて信じてる経営者では会社が良くなるはずなんて有りません。ましてはとにかく不景気だから企業の保身のために、仕組みを変えたり待遇を良くしたりなどの努力はせずに、内部貯蓄をせっせと溜めるのだけが、お仕事な日本の経営者に会社を良くする能力は…… 

良きマネーマネージャーであれば、金や新人に頼らなくても、金八先生が学級崩壊を治した様に、駄目な既存のチームでも優秀なチームに直す事が出来るはずです。まさか、今度入社する大学卒業したての若者に何とかしてもらおうとかは考えないはずです。人任せにする前に自分でどうにかしようと考えるべきです。

特に会社内のコミュニケーションでいえば、戦前戦後初期で有れば、地域が家族的な面を持ち、高度経済成長からバブル経済までは、労働者は地域から引きはがされる変りに会社が家族的な共同体に成っていました。しかし、不景気に成り会社はよそよそしくなり、男女雇用機会均等なんて全然無いのと同じですし、会社が景気に合わせて人を取ったり取らなかったりするので、社内の年齢層は偏り、雇用形態も偏り、全てがギクシャクしている中でコミュニケーションを取るのは至難の業です。そうです、景気が良くて段階的に昇給して、近い年齢の人もそこそこ居て、売り上げが良くて給料もどんどん上がって、みんな正社員とか、同じような立場で……的な朗らかで牧歌的な環境でコミュニケーションと取るのとは難しさが段違いです。100メートル走でスタートラインが20メートルもズレていたらタイムなんてとれませんよね、それと同じで今の若者と昔の若者を比べる事自体ナンセンスすぎます。

政治についても一緒で、議会や大臣がちゃんと良い国の仕組み(法律)などを時代に合わせて作らないと国は良く成りません。若者達に急に彼等の言う所のコミュニケーション能力が備わったとしても、有権者の大多数が老人であるこの国で、若者どんなに頑張っても政治に参加出来る率は限られてきます。要は、こっちも今仕組みをちゃんと考えて、世の中にそれを浸透させる事が大切な訳です。若者のコミュニケーション能力だけで不景気や政治不信が治る道理も根拠も有りません。

しかも、不景気が治らないのは若者のせいだ!みたいに言われますが、今の若者なんて、生まれてこの方、日本が不景気な時代しか知りません。今年の新成人なんてバブル崩壊の年に生まれた人です。そんな人達に景気良くするために馬車馬のように働けと言っても、何がどうすると景気が良くて、景気が良くなるとどんな恩恵が有るのか良く若菜らい人にそんな事言っても意味不明です。逆に伝わらない言い方しかできない伯父さま達が、コミュニケーション力不足としか言いようが有りません。むしろバブルを弾けさせた原因を作ったバブル経済の恩恵を受けた人はどうして責められないのか不思議なくらいです。

ここまで書いてきて気付いたのですが、別に若者にコミュニケーション力が無くなった訳では無くて、世代間同士のコミュニケーションがとりづらくなったからこの問題が出たのかもしれません。若者は若者同士の価値観で共有されていて、老人は老人同士の価値観で共有されている。でも両者をつなぐ価値観が少なく、価値観が一致しなければコミュニケーションもしづらい、日本は圧倒的に老人が社会的権力と人口を握っているので、全てにおいてイニシアチブをとれる。そして、その価値観にはまらない存在は『不気味な存在』若しくは『悪』として規定される。所謂、少数民族の弾圧と言う奴が日本という国では「若者」という少数民族に対して行われているわけです。

草食系問題と若者のコミュニケーション能力不足は、実はこういう問題が横たわっていて、もしかしたら世論やメディアを牛耳っている老人が若者を理解しない事が原因で起きているのでは……言い換えれば、老人のコミュニケーション(他社理解)力不足なんじゃないか!と思えてくるのです。

会社で自慢のコミュニケーション能力でバリバリ働いている管理職の伯父さまでも、家では奥さんに目を合わせてもらえなかったり、子供に汚物扱いされているケースは良くあることです。ぶっちやけ日本人はコミュニケーションの定義を仕事分野にしか持っていない場合が多すぎるのも気持ち悪い状況です。むしろ会社やその他組織も制度で動きますが、私人同士の関係はそういうものが無いので、逆にコミュニケーション力が大切に成ると思います。

というより、むしろコミュニケーション能力というのは、そもそも、そういう部分(私人対私人の関係)にしか役に立たないのではと思います。コミュニケーション能力が有れば何でもできるという理論はコミュニケーション能力が無い人(自分が一方的にしゃべるだけの人)に限ってよく言う言い訳であるのは、たぶん多くの人は経験的に気付いてるんじゃないでしょうか?

だからと言って、それが悪いという事は無いと思います。コミュニケーション能力が無いと薄々気づけば、熟年離婚する前に夫婦で話し合う事も出来るし、価値観も変えられるし、若者ともっと触れ合ってみようとか考える事が出来るかもしれません。そういう部分からイイことづくめです。しかし、今はそうじゃない。年齢の高い世代の作った世論やメディアで、彼らの価値観を通せば通すほど、そう言ったチャンスは減りますし、彼はら若者よりはまだ我々の世代の方がマシだからと自分自身に言い聞かせて、悪い意味で安心してしまう。

此処でも、人が人の事を道具にしています。自分を安心させる為の道具として若者を使い、理論の中では、人口増加や、経済活動安定化のによる税収増加の道具として若者を使う。何処までを人を『物』としか考えない思想が其処に表れていますし、現に社会を変えられる立場にある経営者や政治家などの世代が、自分がやるべき事をやっていない事を指摘されるのが怖いので、若者せいにして、本当に論じなければならない議論や対策を煙に巻いて隠して、先延ばしにするために無意識のうちに流布している煙幕と、この二つの問題は言えるのかもしれません。

さて、話したい事はだいたい話し終わったので、結論に行きたいと思います。

解りやすく箇条書きで……

・草食系男子は害悪が有るかと問われれば、逆で、草食系男子で無い方が相手を物としか見れない困った男子。
・コミュニケーション能力は、若者だけでなくて、全ての世代から無くなっている。
・組織の問題は、コミュニケーション能力じゃどうにもならない、統率者が良くないと良くならない。
・そして、上のような議論から、この二つの問題は、若者を道具扱いして、全てを若者のせいにして目をくらませようとしている世代や統率者が無意識に行っているプロパガンダであるし、そのせいで彼等にも弊害が出ている。

という事なので、結果としては、草食系議論も、コミュニケーション力議論もあまりにも陳腐で有害なので、そろそろ止めた方がいいよと言うのが、私の結論にたどり着きました。

まあ、余談で、あんまり触れませんでしたが、別に草食系男子やコミュニケーション能力が無い若者を定義立てして、マスコミや大人達の世論でワイワイいじめ大会やっても、見当違いすぎて、若者が変わると言う事は無いと思います。

だってそうでしょ、誰だって虐められるだけじゃ成長できないし、仮に成長出来たって、虐めた相手に感謝なんて出来ない訳で、もっと憎しみが増えるだけなんですからね!
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テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済

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