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巨大ロボが人型をしている理由

 うぃっす、どうも善浪です。
 
 今回は「なぜ巨大ロボットが人型をしている必要があるのか?」というお題で話を進めていきたいと思います。

 鉄人28号にしろガンダムにしろ、戦闘用として開発された巨大ロボットですけど、なんでわざわざ人型なんですかね。絶対戦いにくいと思うんですけど。
 一応理由らしきものはあって、たとえばガンダムだと「重心を移動させることで無重力でも方向転換を容易にするため」だとか(AMBAC理論)、「バリアが発達しすぎて手足を使った格闘戦じゃないと撃破できないから」だとか(ターンエー)いろいろありますけど、兵器としての合理性はともかく、そもそも何故人間は人型ロボットを作りたがるのでしょうか。
 てなことが、巨大人型ロボットの出てくる小説を書いていたところ無性に気になってしまいまして、考えてみたわけでございます。

 さて、「巨大ロボがなぜ人型か」ということを考えてみるには、まず「なぜ人は人型か」ということについて考えてみなければなりません。おかしなことを言っているでしょうか。でもロボットが人型をしているのが不自然なら、人間が今の形に落ち着いているのもかなり不自然だと思いますけどね。
 
 ここで言う「人型」というのは「垂直二足歩行」という在り方のことですね。二足歩行する動物自体はわりといますけど、地面に対して垂直に膝をのばして立っている生物は人間だけです。これは自然界ではかなり異質な状況です。なぜ、我々の祖先は二足歩行、しかもかなりぴしっとした立ち方を選んだのでしょう。

 「プレゼント仮説」という説があります。
 我々の祖先、猿から枝分かれする前の人間のオスがメスや家族にプレゼント渡すために前足で物を運び始め、そのため二足歩行になったのだ、という説です。「運搬説」という呼び方もありますけど風情がないのでこれは却下。
 餌を見つけてもその場で食べたりしないで、持って帰ってメスに渡す。より多く、質の高い物を持ってきたオスがモテたそうです。その結果、前足でより多くのものを抱え込めるように股関節、背骨、足が地面に対して垂直になり、二足歩行になっていったといいます。
 
 この説を採用した場合重要なのは、我々の祖先が、他者を殺し奪うことよりも、他者のために贈与することを生存戦略の根幹に据えたということです。 確かに、「人型」というのは戦うにはあまり向いていない形です。重心が高いから転びやすいし、筋力もほかの動物に比べると貧弱。何より二足で立つと急所である腹が全くの無防備の状態で相手にさらされることになります。戦って何かを得るためには、人型では不都合なのです。だからこそ、我々の祖先は道具の開発に腐心せざるをえなかったのでしょう。

 四足でいることの利便性よりも、自分以外の誰かに何かを与えることで共同体全体を生かす方を、より効率的な生存方法として選択したのです。
 「贈与」というのは、決して物質的なものだけではない。人間は、「自分以外の誰かに贈与することを生きることと措程した時」、初めて人間となったと言えます。
 ということは、二足歩行という型自体に、「贈与する者」としての人間の在り方が集約されているということです。

 さて、ここからは多分に私の妄想が混じった暴論が展開されることになりますけど、巨大ロボットが人型である理由も、巨大ロボに「贈与するもの」という在り方が期待されているからではないでしょうか。

 つまり人間にとっては、「二本足で立つ」こと自体が、「我々に何かを与え、共に生きてくれる」ものの象徴なのではないか、ということです。
 少し前に二本足で立つレッサーパンダの風太君が人気になったことがありましたね(今では以前ほど立たなくなったみたいですけど、歳だからですかね)。あれもどうしてあそこまで人気になったのか不思議だったのですけど、こういうことを考えてみるならば理解できるように思えます。
 人間以外の動物が二足で立つことそれ自体が、人間にとっては「可愛い」のです。ペンギンやカンガルーもそうですけど、前足を地面につけずにだらんと垂らしている動物は無性に可愛い。何故か。人間臭いからです。それはもはや「動物の」可愛さではない。我々と価値観を共にし、共に生きることが可能な「人格」としての可愛さです。

 私はこれが巨大ロボについても言えるのではないかと思います。
 巨大なロボットは、単なる兵器としてだけではなく、「贈与するもの」としての役割を使命的に与えられているといってもよい。
 単に兵器であるのなら、先述したとおり、人型でない方が合理的です。しかし多くの作品では、人型であることが最も合理的な在り方であると語られます。
 これは単に設定上の問題というだけではない。人型ロボットの存在は、偶然的なものでなく、必然的なものとして語られなければならなかった。
 それを考えたものにとって、人型ロボットは「誰かに何かを贈与するもの」としての存在価値を予め与えられて存在するからです。
 物語の登場人物相手にも、視聴者に対しても、人型ロボは何かを与え、共に生きる存在でなけれならない。
 
 もっともこれはロボットに限った話ではなく、人型として創造されるものはみな、そういった使命を課されているといっても過言ではないでしょう。

 長くなりましたけど、そんな感じで、日々色々考えながら創作しているんですよね。
 うちのロボットたちも、物語が終わった時、誰かに何かを与えられる存在であってもらいたい。
 
 では今日はこの辺で。
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