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仮面ライダー今昔

 少し前のエントリーでも紹介されてますが、新番組の「仮面ライダーフォーゼ」が面白いです。

 なんか、人類の宇宙での有人飛行50年を記念しているらしく、ロケットや宇宙服をモチーフにしたライダーのデザインは(どう見てもダサいですが)新鮮ですし、敵の怪獣の名前も星座の名前をモチーフにしているようです。
探査衛星はやぶさの帰還も記憶に新しく、宇宙に対する関心が高まった時期だからこその企画と言えるでしょう(デザインはダサいですが)。

 さてこのように、仮面ライダーシリーズは、必ず放送当時の世相を反映されるように出来ています。

 変身アイテム一つとっても。子供たちの間でカードゲームが大流行りした時はカードで変身してましたし、SUICAだったりUSBメモリだったこともありました。子供たちの身近にあるものが、途端にカッコイイ変身アイテムとなるのです。
 特に平成に入ってからのライダーは、主役にイケメン、ライバルにイケメン、端役にイケメンをキャスティングし、子供と一緒に見るであろうお母様方のハートもキャッチすることに成功。リアルタイムで楽しめるお子様、イケメン好きのお母様、かつて仮面ライダーを見て育ったお父様と家族全員で楽しめるような構造になっており、その戦略の巧みさには舌を巻きます。

 「仮面ライダースーパー1」が当時流行りのカンフー映画のエッセンスを取り入れたように(主演俳優は数カ月間少林寺拳法の修行をしたほどです)、時代の流行りを取り入れていくのは仮面ライダーシリーズのお家芸です。この特徴は他の特撮ドラマよりも顕著であり、子供たちを相手にしている分、他のメディアより象徴的に時代を反映していると言っても過言ではない。

 では問題です。
 初代から仮面ライダーブラックまでの「昭和ライダーシリーズ」と仮面ライダークウガから始まる「平成ライダーシリーズ」、仮面ライダーの歴史はこの二つに分けられますが、この二つにはライダーの誕生に関わる設定に決定的に異なる部分があります。それはなんでしょう?

 正解は、「ライダーが改造人間であるかないか」です。

 初代仮面ライダー本郷猛は、悪の組織ショッカーにバッタの怪人として人体改造を施されながら辛くも脱出し、ショッカーと戦うことを決意したのでした。
 2号ライダー一文字隼人も同様の運命を辿りましたし、V3風見志郎はその1号と2号に改造されてライダーとなったのでした。
 そう、昭和のライダーは基本的に「人間ではない」のです。

 一方の平成ライダーはというと、クウガは古代遺跡から発掘されたベルトを装着すれば変身できましたし、響鬼では人間が修行の末に変身するというように、方法は様々ながら「人間が」人間のまま変身するものになったのです。

 この違いは何なのでしょう。
 一つには、医療技術が発達し「人体改造」が余りにもリアルになり過ぎたため、悪の組織の改造手術程度では超人的な力を得た説得力がなくなったため、また「改造人間」を異形の者として描写することが不適切になってしまったためというのがあると思います。
 しかし私には医療技術以上に、昭和と平成のライダーの間には大きな大きな時代の変化があるように思われます。
 というより、初代の仮面ライダーが作られた当時の世相がかなり特殊だった為に、仮面ライダーというヒーローが誕生しなければならなかったのだと。

 仮面ライダーは世相を反映します。この大原則に従えば、仮面ライダー制作段階の1970年頃を見てみれば、その特殊さを見付けることが出来るはずです。

 仮面ライダーの制作が紆余曲折を経ながらも着々と進んでいた1970年、起った主な出来事を並べてみると、まず万国博覧会が大阪で開催されました。日本中の浮かれムードを凍りつかせるように、約半月後にはよど号ハイジャック事件が起きました。さらにビートルズが解散されたりアポロ13号が打ち上げられたり、三島由紀夫が割腹自殺したりしました。日米安保条約の延期を巡る、所謂70年安保もこの年ですね。
 さらに仮面ライダー放送直前の、71年の2月にはアポロ14号が月面に到達するなど、重要な出来事が結構起っています。

 「人類の進歩と調和」がテーマとなった大阪万博に象徴されるように、当時の日本は人類や科学の発展への期待に膨らんでいました。経済では「いざなぎ景気」と呼ばれた好景気が続き、日本はかつてない経済大国となっていたのです。
 しかしその一方、暗いニュースにも事欠かない一年でした。よど号ハイジャック事件はもとより、70年安保で学生は大荒れ(60年安保の頃と違いすぐに収まりましたが)、瀬戸内シージャック、アカシア便ハイジャック事件なんかも起きました。三島由紀夫が自衛隊にクーデターを促し、失敗して自殺するなど、社会全体をどこか狂気的な雰囲気が覆っていた。

 さて、そんな中制作された仮面ライダー。
 実はもともと「スカルマン」として企画が進行していたこのヒーロー、大いに世相を反映させています。
 まず「改造人間」という設定には、当時驚異的な勢いで進歩していた科学技術に対する期待と不安が込められています。忘れてはいけないことですが、この当時は公害が社会的に問題となり、環境省が設立されてもいるのです。つまり「人間は科学の発達で何でも出来るようになるんだけど、それってどうなん? 悪い奴が使ったらどうなるん?」という漠然とした不安がそこにあるのです。

 主人公が「悪の組織に改造された」というのも、実に象徴的です。
 主人公は、自分の意志には全く関係なく、有無を言わさず誘拐され改造されます。そして「人ではない」怪人にされてしまう。何とか逃げ出し、組織への復讐と世界平和の為に戦う、というのが昭和ライダーの基本ストーリーですが、ここには「日本に生まれながら日本(世間一般)から断絶された個人」というファクターが潜んでいる。つまり、大阪万博に沸くことも、70年安保の熱狂ににも混ざることが出来ず、日本は好景気だけどこれまでにない公害とか暗い事件はどんどん起きるし、「本当にこの国はこのままでいいのかなぁ…」とどこか醒めた目で社会を見ている人々が確実に存在し、社会の一端を担っていたことの証左であるように思われるのです。

 明確な「悪の組織」が存在するのも、「悪」の存在することはわかるけれども明確に何が悪いのかわからない裏返しにも思われます。例えば公害問題は発生当時、患者の側が悪者にされていたのですが、次第に企業側の問題であったことが判明していきます。
 社会全体が、何が善くてか何が悪いのか区別が付きにくい時代に突入していたのです。
 そう言えば主人公、本郷猛のキャラクターも自立した大人として描かれました。大学の講師でオートレーサー。社会的に認められたインテリで、精神的にもしっかりしているので余り揺れ動きません。仮面ライダーでは、本来は酷く揺れ動くものである善と悪の差を、ことさら明確に見せる必要があったのです。
 それも、善と悪、希望と不安が併存していたこの時代特有のカオスさに由来しているのです。

 では平成ライダーはどうでしょうか。
 主人公は「改造人間」ではなくなり「悪の組織」的なものも無くなりました。
 怪人は大抵、人間ではない得体の知れない侵略者で、そもそも人間とはルールが違います。時にはライダー同士で殺し合いを始めますし、昭和とは逆に、善と悪の差が不明瞭であることを強調しているようにも思えます。
 主人公もまだ成熟しきっていない青少年が主で、自分のやることなすこと大いに悩みます。成熟した大人のライダーは、平成だと響鬼くらいでしょう。

 この変化は、現代においてプロレスが流行らなくなったのと似たような理由のように思えます。
 プロレスには善悪が明確に存在します。それはもちろんフィクションなのですが、プロレス全盛の時代、多くの人はそのフィクションを本気で受け入れていました。
 ですが、最近ではプロレスは少々マニアックな趣味になってしまいました。これは、現代人のイマジネーションがプロレスのフィクションを受け入れることにすら耐えられない程度のものに堕してしまったのではないかと私は思っています。

 「勧善懲悪の物語」と「善悪の明確でない物語」ではどちらがリアルかと言えば当然後者です。
 考えてみれば善悪定かならぬ状況の方が人間社会では頻繁に起こりますから、どちらが理解しやすいかと言えば、これも当然後者なのです。プロレス的世界観を享受するためには、実はある程度習熟が必要なのです。
 現在、多くの人間が「勧善懲悪」は幻想だと知っています。否、そんなことは普通に生きていれば嫌でも理解できる。
 しかし「勧善懲悪」を語る人間だって、そんなことはわかっています。わかっていて、それでも「正しい人間か勝つのだ」と主張しているのです。というか、勧善懲悪という物語の存在意義はまさしく「実際はそうでないにも関わらずそうだと思い込む」ことにあります。子供だって馬鹿ではありません。自分たちの生きている世界が手に負えないほど複雑怪奇であることにちゃんと気付いています。それでも彼らはテレビでヒーローの姿を見て「そうではない価値観もちゃんとあるのだ」ということを学んだのです。
 実は「勧善懲悪」の物語の方が子供たちに高度で複雑なプロセスを踏ませているのです。

 私は別に昭和ライダーの方が平成ライダーより優れていると言いたいわけではありません。初めに言いましたが今の仮面ライダーもきっちり面白いです。
 ですが、この国はもはや、子供たちにも勧善懲悪の物語を必要としない程に「成熟」してしまった。勧善懲悪の物語を採用するイマジネーションを必要としないくらいに、現実的でドライな視点を肯定的に共有出来てしまう。善きにつけ悪しきにつけ、そういう変化を遂げた、ということです。

 というわけで長くなりましたが本日はこの辺で。
 ていうか、この記事一回書いてる途中に消えちゃって、書き直す気力なくなって放置してたら実はログが残ってたっていうね。
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