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2011年と絆ブームについて考える。その1

新年です!

年末年始はメンバー全員割と実家に帰ったり、仕事が忙しかったり、ドライバーしてたり、ネトゲのかきいれ時だったりと書きこみ少ないですが・・・新年あけましておめでとうございます。

と、言いつつも既に1/4ですが・・・


又、年末のコミケお疲れ様でした

私自身は、人ごみとか祭りは苦手な方なのであんまり愛そう良く出来なくて申し訳ないですが、寄ってくださった皆さんや、購入して下さった方、早速感想を下さった夢現堂様、皆さまに感謝しております。

さて、2011年が終わったので、2011年について纏めとこうかなとか思いました。というか、書いているうちに絆ブームについての文章に成ってしまいましたが・・・



年末の今年の漢字の発表が12月中旬にありまして2011年は「絆」と言う事に成りました。別にその言葉に反論が有るわけじゃないですが、もうちょっとセンセイショナルな漢字でも良かった気がします。「絆」と言う字は、かなり多くの人にとってポジティブな文字なので1995年の「震」や2004年の「災」のように何十年後かにぱっと見て、何がこの歳に有ったのか?と言う事が良く解ったり、目を引いたりする文字の様に、後世に惨事を伝えるという力は弱いんじゃないかとちょっと思いました。

ですが、別に、今年の漢字だけを見て人々は歴史を学ぶ訳ではないし、そんなに大した問題じゃないと思うのですが、やはり「絆」と言う文字にはかなり深い意味が有ると思います。そういう所を考えないで絆を語る事自体が、実はある人々にとっては辛い事なのかもしれないと。

世の中は絆だ、震災復興だみたいな特番が多かった年末に、私はラジオでちょっと気に成るニュースを聞きました。今年は昨年の様に年末派遣村が開かれないという内容で、実際景気は良く無くて、年末に解雇されて行き場の無い人が去年とあまり人数も変わらず大勢居るとコメンテーターが言っていました。

日本中が絆、絆と騒いでも、絆に入れない人は、昨年よりも厳しい立場に立たされているという事実だなぁと改めてショックに思いました。ニュースの中で専門家は、今年は色々あって、マスコミも国も年末に解雇される労働者の事を考える暇も、ムードも無く、この問題自体への世の中の無関心さがそれに拍車をかけて、こういう事態に成った。と分析していました。

確かにテレビでも新聞でも既に絆の中に居る人達の現状や心温まるエピソードばかり報道され、絆に入れなかった、年末に枠から追い出されてしまった人々の話は全く無かった事にされている感じが無きしも有らずだなあと。

それを考えると、絆って何なんだろう?ってもう少しちゃんと考えなきゃ駄目なんじゃないかとも思いました。

では、絆とは?と考えても、それはなかなか推し量りずらいものです。ただ絆の性格は解りやすい。絆は仲間と言うテリトリーの中でのみ発動する感情とか技みたいなものです。テリトリーから出たり、仲間から脱退したりしたら、その技は使えません。そして、その新規にテリトリーに入る事、仲間にしてもらう事はかなり難しいという性質も有りますし、その絆を維持するにもかなりのリソースが喰われます。

別に、リソースと言っても、地域によって様々で、緩く繋がっている所は、ゴミ当番とか町会費とかちょっと寄り会いに集まれば良い程度の所もあれば、もっと濃密に村全体で行う仕事や行事が多く、参加できないと直ぐに村八分になるような所も有るでしょう。ただ、どっちが良いか悪いかは無くて、緩い繋がりの場合はコミュニティから得られる利益が少なく、濃密な所では其れが大きいなどの違いが有るだけだと思います。その辺は人の好みの問題では無いのかと。

ただ、最近の学者さんやマスコミが、割と郊外的な町内会のやり取りぐらいの事で、東北並みの助け合い的な絆が出来る!みたいな論調があるのには少し違和感を覚えます。絆は何も万能工具では無いです。制約された分、リソースを払った分しか普通は帰って来ないものだと思います。周りが特別良い人だらけとかなら有りうるかもしれませんが、なかなか、そう上手くはいくはずも無い気がします。

又、「見返りがあるからやる」みたいな心持がけしからんという人も居ますが、それもちょっと違う気がします。郊外の町内会くらいの繋がり程度の事で有れば見返り無しにやると言うのは、余裕が有る人で有れば美徳程度に扱えると思いますが、地方の濃密な関係を何の考えなしに出来る人は逆に聖人君主過ぎて怪しいと思います。

今、発言力のあるコミュニティ関係の学者さんは、バブル世代や、その上位の人なので、だいたい郊外とか都市で子供の頃を過ごしている人が大多数だと思われます。彼等は「絆」から得られるものテレビで観た「暖かい田舎の助け合い」と、絆に取られるリソースを子供の頃にベットタウンにあった近所の付き合いとか、町内会の会議くらいのものの発展系と規定、想像して考えている感じがありますが、先ほども述べたように、絆は万能では無いので、払った分くらいしか役に立ちません。なのに絆は大切だ、みんな俺の様に近所の人々と接すれば、濃密な絆が出来るぞ!みたいな感じの論調には胡散臭さしか覚えません。

少し話がそれてしまいましたが、私も少し前まで(私もベットタウン育ちなので)はそういう勘違いをしていました。絆とか、地方の繋がりはすごいなぁと。ただ、本当の地方の人の意見を見る機会が有って、田舎のような場所はたしかに、人々のつながりが濃いけど、その分、自由も無いし、プライバシーも制限されるし、いざ村八分に成った時は目も当てられない、みたいな話を聞いて、ちょっと自分は甘かったなぁと反省しました。

こんな話が有って、思い出したのは、松本清張作「砂の器」です。主人公は村八分だった子供の頃の過去を捨てて都会で成功しているのですが、偶然自分の過去を知っている人に出会ってしまい、再び人生を狂わせて行く・・・そんな内容ですが、実は村の絆を維持する為には、村八分と言うものがよく使われます。そういう制度的な欠陥も有るんじゃないかな?みたいな事を書きたかったですけど、長く成ったので今日はこれくらいで。
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