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おもいこんだら(後編)

 

 祭りの夜が来た。大晦日である。
 夕刻、村の菩提寺の境内には篝火が焚かれ、寒空の下参加者が集まってくる。
 中でも目を引くのが、褌一丁となった男衆である。二十代と見える若者から老人まで、二十人はいるだろうか。この中の十三人が根荼羅を担ぐ、この祭りの主役達である。
 その中の一人、山下宗吉さん(仮)は最年長の六十二歳である。身長は百五十八センチと、参加者の中でも特に小柄であるが、毎年この大役を果たしおおせてきたベテランである。毎年この日のために体を作っているという。
 祭りの前日にもお会いしたが、トレーニングの量が半端ではない。アップダウンの激しい山道でのロードワークは序の口。自宅に戻ればウェイトトレーニングのための器材が揃っており、アスリートさながらの鍛え方である。食事や団欒の最中でも、常にハンドグリップを握り握力を鍛えているのだという。
「なにしろもう歳だもんで、これくらい鍛えんと(筋肉は)落ちてく一方ですから」
 宗吉さんはそう言って笑いながら力こぶを作って見せた。それほど大きな膨らみではないが、触ってみると恐ろしいまでに硬い。ほとんど岩のようだった。
「でも、根荼羅を担ぐのに大事なのは、筋肉じゃないんです。コツがあるんですわ」
 そう言うと、宗吉さんは掌を見せてくれた。指紋が、無い。
「根荼羅の表面はデコボコしてるでしょう? そこに指を引っ掛けるんですわ」
 宗吉さんは実にあっけらかんと語るが、しかし指紋が擦り減るほどの難行である。「コツ」などという言葉で片付けてしまっていいものかどうか。
「まあ、見ればわかりますわ」
 宗吉さんがからからと笑う。そしていよいよ祭りの夜がやってきた。

 もろ肌を晒し、褌一丁となった宗吉さんの肉体を見て、我々は絶句した。
 傷だらけである。
全て、根荼羅を担いで出来た傷だという。
「何しろもう四十年やってますもんで……」
 と、宗吉さんは少し恥ずかしそうに言った。村の外の人間にこの姿を見られるのが初めてで緊張していたと、後になって聞いた。
 篝火に照らされたその背中には、決して均整の取れた筋肉が付いているわけではない。それはむしろ歪で、人間の肉体というよりはほとんど「岩肌」だった。じっとりと汗ばみ光沢を持ったその肉体は、年月を経て雨風に削られ、練磨された、まさに「巌」だった。宗吉さんの小さな背中に、彼の人生がガチリと固められている、そんな印象である。他の参加者の誰を見ても、筋肉の量で上回っている者はいても、宗吉さんほどの凄みを感じはしなかった。
「あれは全て、根荼羅を担ぐための肉体なんですわ」
 祭りの時間が近付いて集中を高めている宗吉さんに代わって、村長が言った。つまり、宗吉さんはその人生のほとんどを、根荼羅を担ぐことに費やしてきたということなのだった。

 夜七時。菩提寺の境内に置かれた太鼓が盛大に鳴らされ、いよいよ祭りの時間となった。
 十三人の担ぎ手が整列する。他の男衆は、松明を掲げつつ担ぎ手にトラブルがあった場合のサポートだ。
「おう!」
 という掛け声と共に、男衆が一斉に根荼羅を担ぐ。担ぎ方は自由だそうだが、肩に乗せるのが一般的のようだ。
 そして長く、急な石段を下り、これから村の周囲を練り歩くのである。無論。途中根荼羅を下に落としたり降ろしたりしてはならない。
 村の周囲といっても、ほとんどが山道である。距離にしておよそ十五キロほど。ほとんど舗装もされていない悪路を一列縦隊になって歩き続ける。
 担ぎ手は、行進中一切口を利いてはならない。それは松明を持って随伴する補助役の男衆にしても同じである。静かに、男達の荒い息づかいと足音とが闇夜に響く。
 松明の明かりに浮かび上がる男達の影は、恐ろしくも荘厳な雰囲気を醸し出している。等間隔に並んだ影が整然と山道を進んでいく様は、私の脳裏に自然と「重い根荼羅試練の道を」のフレーズを想起させた。
 行程を半分ほど進むと、流石に担ぎ手の男達から喘ぎ声が漏れ始める。普通に歩いているだけでも足にくる山道だから当然である。各々、担いでいる根荼羅を少しずらしたり下に降ろさないで担ぎ直したりと苦慮している。
 きつそうな担ぎ手には補助役の男衆が手を貸す。貸すといっても、根荼羅に手を添えるくらいだ。万が一にも根荼羅が地面に落ちないようにという保険だ。基本的に、担ぎ手は自力で担ぎきらなければならない。
 そんな中でも、宗吉さんは平然としている。上半身がほとんどぶれない。担ぎ直している様子も無く、黙々と、ただひたすら前に歩を進めている。
 
 五時間かかって、一行は菩提寺の前に戻ってくる。男達は一旦立ち止まり、最後の関門である長い石段に備える。
 男達は各々息を整え、意を決したように順番に石段を登り始める。しかし勢いをつけるという風ではない。一段一段、着実に、最後の力を振り絞るように登って行く。
 そして、百段近くあるという石段を登り切ると、ここまでの沈黙を一気に破るように、境内に集まった村人が担ぎ手に喝采を送る。所定の場所に根荼羅を置いた担ぎ手達は、緊張の糸が切れたように地面に突っ伏し、或いは仰向けに寝転んだりして荒い息を吐いた。
 全員が無事根荼羅を運び終えると、根荼羅に墨を塗り、大きな紙の上を転がす。根荼羅に描かれた紋様が平面上に再現される。そして祭りの最後は、十三本の根荼羅に火を付けるのである。勿体ないようだが、紙に写された時、根荼羅は役割を終えるのである。
 
 焼かれて灰になっていく根荼羅を見つめる担ぎ手達の背中は、皆一様に血が滲んでいた。根荼羅の表面の凸凹で付いた引っかき傷である。痛くないのだろうかと一番若い担ぎ手(今回唯一の二十代だった)に聞くと、「痛いす」と即答された。
「でも担いでる最中はそんなに気にならないすね。背中より指の方が痛いんで。アドレナリンが出てるんすかね」
 体力のある若者の意見なのかと思っていたら、どの担ぎ手も大体そう言う。担いでいる最中は背中の傷など気にしない、と。
 宗吉さんに至ってはほとんど息も乱れておらず、背中の傷を除けば全くの普段通りと言ってよかった。
「まあ今年も無事に終わりましたわ。年始は一休みですわな」
 宗吉さんはそう言ってからからと笑った。試練を越える悲壮感などおくびにも出さない。だからこそ宗吉さんは担ぎ手の男衆のみならず村人全員からの尊敬を得ているのだ。
 機嫌良く御屠蘇を飲んでいた宗吉さんだったが、生涯で一度だけ、根荼羅を落としたことがあるのだと我々に話してくれた。それは宗吉さんがまだ三十代のことであったという。
「何年かに一度落っことすやつはいるんだけどよう、まさか自分がそうなるとは思わなかったげなあ」
 神妙な顔つきになった宗吉さんが、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
 宗吉さんが根荼羅を落としたのは、長い道のりの最後に待ち構える、あの長い石段だった。もう少しで終わる、そう思ってほんの少し、安堵してしまったのだという。
「ああ、落ちたなあ、という感じでしたわ。こんなに簡単に、落ちてしまうんだと。その後ですわ、なぜか泣いてしまいましてぇ、ええ」
 それがなぜなのか、未だに理解出来ないのだと宗吉さんは言う。
「仏さんも、わしらが担いでやらんとああして落ちて行くんじゃろか。そう思うて、悲しくなったんじゃろうかのぅ……」
 根荼羅を落とした担ぎ手に対するペナルティは特に無い。しかしそれは、落とすことがそもそも想定されていない事態だということである。
根荼羅から手を離しても離さなくても、何も変わらない。バチが当たるわけでも他人から責められるわけでもない。だが、そこに後ろめたさや罪の意識は確かに残る。根荼羅は人間の心に痕を残す。残さずにはいられない。だから男達は、死にもの狂いでその丸太から手を離すまいとするのである。或いは信仰とはそういうものなのかもしれない。

 翌朝、村を後にする前にランニングしている宗吉さんと出会った。
「今日からまた鍛錬だぁ。また落っことしたら叶わねぇから」
 宗吉さんは我々にそう言い残すと、颯爽と駆け去って行った。
 その小さな背中は、どこか、『巨人の星』の星飛雄馬に似ていた。


                  【終】
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