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本の紹介 岩明均 『ヒストリエ』

 眠ーい!ひたすら眠ーい! どうも、善浪です。
 今回も私の好きな漫画紹介コーナーにしたいと思います。

ヒストリエ(6) (アフタヌーンKC)ヒストリエ(6) (アフタヌーンKC)
(2010/05/21)
岩明 均

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 まあこれは私が紹介するまでもなく有名ですしね。
 今回はこれに考察を加えていきたいと思います。というか、この作品に関しては以前から何度か考察を書いていたりしたんですが、毎回毎回改めて発見があって本当に何度読んでも面白い。

 さて。
 『ヒストリエ』は紀元前3世紀頃のギリシャが舞台の漫画です。
 主人公はアレキサンドロス大王の書記官を務めたエウメネス。実在の人物です。
 エウメネスはギリシャの都市・カルディアで、有力者ヒエロニュモスの次男として何不自由なく暮らしていました。
 しかしある事件がきっかけで、実はヒエロニュモスの息子ではなく、蛮族であるスキタイ人から略奪された子であることが判明。奴隷の身分に落とされ、カルディアも追放されてしまいます。
 しかしその後は思わぬ幸運に恵まれ自由の身となり、さらに数年後、知恵と武術の才に恵まれたエウメネスは、アレクサンドロスの父・フィリッポスの目に止まり、マケドニア王国で働くことになるのでした。
 ……というのがあらすじ。

 『ヒストリエ』の物語は、この主人公エウメネスの「回顧録」というかたちで語られます。
 そしてこの語り口こそがこの作品の真骨頂。

 物語では、エウメネスは非常に頭のいい人間として描かれています。
 合理的で冷静。自分の感情でさえも怜悧に分析してしまう。それは「観察者」「記録者」というエウメネスの本質です。
 劇中でもフィリッポスに「お前も本当は戦より『地球』の裏側を見てみたいのであろう?」と看破されている通り、彼は「見る」者であり、「見てみたい」者であるのです。

 カルディアを追い出された後のエウメネスは、ギリシャ中を巡ることとなるのですが、その過程で、
「文化が違う!」
 というの口癖が生まれます。
 これまで城壁の中でぬくぬくと生きてきたエウメネス。他の文化に触れることが出来るのは本を読んだときくらいでした。
 それが突然、外の世界に放り出されてしまう。しかし、彼の好奇心は、それでも観察することをやめない。
 彼は初めて触れる文化に対して観察をし続け、それがどういう経緯でそうなっているのか、つまりその文化の合理性を自分なりに解釈し、結論付け、今まで常識であったことが、他の文化では必ずしもそうでないことを次第に学んでいきます。

 さて、そうするとどういうことが起こるかというと、エウメネスと他の人間達との間にある種の断絶が生まれるのです。具体的にいうと会話がかみ合わなくなってくる。
 エウメネスは「自分の培ってきた文化も、他人の培ってきた文化も、決して全世界のコモンセンスではなく、それぞれ特殊なものである」ということを前提にコミュニケーションをとろうとするのですが、それはなかなかわかってもらえない。
 まあ当たり前です。「文化の特殊性」それ自体が、普遍性の根拠となっているのですから。それは日本国内でも、県民性という形で如実に現れます。千葉県民は、異常なまでに甘い「マックス・コーヒー」を奇異だとは思わない。それは彼らにとってのコーヒーのコモンセンスです。そしてそれを知った他県の人間は、それを奇異だという。
 
 しかしエウメネスは違います。
 エウメネスは自分以外の文化に触れた際「奇異」とは感じない。「おかしい」とは思わない。
 彼はそれを「差異」と捉えるのです。
 「文化が違う!」という口癖は、「自分とは違うもの」に触れたときの彼の困惑をあらわしたものですが、困惑したということは、逆に言えば対象を理解しようと努めているということでもあります。
 たとえどんなにおかしなものであったとしても、その文化が成立するには何らかの合理的理由があり、その限りにおいて、どんな文化にも、優劣や正邪は存在しない。あるのはただその文化がそのように存在している事実です。そしてそれを、エウメネスが冷徹に記録していく。
 それがエウメネスの基本スタンスであり、引いてはこの作品全体を流れる空気そのものではないかと思うのです。

 こういったエウメネスの立場は、レヴィ=ストロースの思想とよく似ています。
 レヴィーストロースは文化人類学者でしたから、世界中のさまざまな民族を観察した結果、文化の差異とは知的能力の差でもなく、開発・発展度の差でもなく、単に世界に対する関心の違いである、という前提からスタートします。
 ギリシャ人とスキタイ人の間にある差異は、優劣の差ではなく、「何を以って生活とするか」という関心の差である。
 ギリシャ人の方が文化的にバルバロイより優れている、というのは、ポリネシア人がニューヨークの高層ビル群を見て「無駄なものばっかり造っているあいつらより、我々の方が無駄がなく優れている」と考えるのと大差ない、ということですね。

 エウメネスは、こういった考え方とは無縁です。
 彼自身がスキタイ人でありながらギリシャ人として育ったこともあり、確としたアイデンティティを持っていないということもあるかもしれませんが、何より彼は、既存の世界観をそのまま自分の身に採用することを、この上なく退屈に思う性質の人間なのではないか。
 世界を見、世界を自分のものとして構築していく、そういったことに快感を覚えるタイプなのではないか。
 当時は存在しなかった「鐙」を自分の手で作り出すエピソードからもその片鱗が伺えるような気がします。

 スト―リはしかしまだ前半(おそらく)。少年アレキアンドロスもまだ英雄にはなっていない。
 エウメネスがこれからどんな世界を構築し、どんなエウメネスになっていくのか、すごく楽しみな作品です。

 まあ紹介する時期は外している気がするけど。
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テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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